ここでは、ハイデルベルグ テクノワールド ニュース Vol.12(平成8年7月発行)とハイデルベルグ社のWebページで紹介された記事をそのまま引用させていただきました。


〜鈴木美術印刷株式会社の事例〜
SM52を中心とした菊4裁サイズに特化。
多品種・小ロット・短納期に完全対応した都市型印刷業



Contents



鈴木美術印刷株式会社

代表取締役 鈴木敬之氏
〒556-0006 大阪市浪速区日本橋東3丁目16番26号
 TEL(06)6631-7734(代)

[大阪の中心部で都心型のユニークな事態を確立した、同社の本社・工場]

はじめに

 鈴木美術印刷株式会社があるのは、大阪市浪速区。大阪のシンボルの一つ、通 天閣を望むこの地は、阪神高速環状線のえびす町ランプ、地下鉄堺筋線の恵美須町駅に近く、交通 の便のきわめてよいところです。
 市内中心部の土地の高騰から、郊外へと移転する印刷会社が多いなか、同社はその地の利を生かしたユニークな業態に特化し着実な成長を続けてきました。同社のユニークさは、所有する印刷機の構成からも十分にうかがい知ることができます。4色機、2色機合わせて5台のGTOシリーズに、最新のスピードマスターSM52-4-P、SM52-2-Pを加えた7台が、すべてハイデルベルグ社製の菊4裁判なのです。
「当社の設備は、小物、小ロット、短納期の仕事に合わせたものです。朝フィルムを受け取って翌日納品するなどというのは普通 で、即日仕上げなども珍しくありません」(鈴木美術印刷株式会社 代表取締役 鈴木敬之氏)



[SM52-4-P菊4裁判4色両面兼用機。自動化が進み、この紙積作業時以外は、ほとんどフィーダ部に行く必要はない]

 自社設備稼働率のうち、直受けが3割、他の印刷会社からの受注が7割。鈴木社長の「クオリティの高さはあえてうたうまでもない」という言葉は、長く同業者、つまりプロから確かな信頼を得てきた事実に裏づけられた自信の現れでしょう。



活版機の時代からのおつきあい

 同社は昭和36年、大阪市西成区で創業しました。それまである印刷会社に勤めていた鈴木社長が、小さな印刷会社の事務所に間借りし独立したのがスタートです。当初は印刷機を持たないブローカー。しかも、印刷会社の事務所に机を借りるというかたちの、まったくの個人会社でした。


[代表取締役社長 鈴木敬之氏]

 そして昭和39年、現在地に近い浪速区恵美須町に移り、国産活版機を導入。徐々に売上げを伸ばしていきます。
 それから2年ほどのちのある日、鈴木社長は外注先で1台の印刷機に目をとめました。これが、ハイデルベルグ社製のプラテン。一目で気に入った鈴木社長は、数日後ハイデルベルグのロゴをつけたライトバンを見つけると、営業マンに「機械を見せて欲しい」と声をかけたのです。
「最初に買ったKSBが、昭和41年当時350万円でした。そんな資金の余裕はないというと、営業マンが設備近代化資金の借入手続きをしてくれたのです」(鈴木社長)
 これが、ハイデルベルグと同社とのおつきあいの始まりでした。しかし、導入当初はいろいろな意味で大変だったといいます。
「昭和44年頃までは、利益の大半が機械代金の返済で消えました(笑)。ただ、それでもやってこられたのは、印刷品質がよかったからです。機械がいいからいい仕事ができ、いい仕事ができるから仕事が増えていったのです」(鈴木社長)
 当時の事務所兼工場は、間口わずか1間半。そんな狭いスペースにハイデルベルグ機が入っていることが珍しいと、わざわざ他府県から見学にこられた方まであったそうです。
 そして昭和43年、業容の拡大に伴い、株式会社を設立。同じ年、より広い工場へと移転し、さらにプラテンT型を導入して、生産能力のアップを図りました。しかし、時代は徐々にオフセット印刷へと移りつつあり、同社も移行の時期を模索しつつあったのです。


[取締役営業部長 鈴木博氏]


ドイツの印刷会社をモデルに業態を模索

 昭和47年8月、鈴木社長は単身ドイツへと旅立ちました。目的は、オフセットへの転換に備え、ハイデルベルグ社が開発中の新鋭機GTOの性能を確認すること。ハイデルベルグ社では、この東洋からのたった1人の来訪者を暖かく迎え、GTOのプロトタイプを前にじっくりと説明してくれました。しかし、その時の鈴木社長の結論は、「まだ少し早いかな」というもの。
 結局同社は、翌年ハイデルベルグKORを導入して、オフセット印刷へと進出することになるのですが、このドイツへの旅で鈴木社長は思いがけない出会いを得たのです。
「当社の参考になるような、2、3の小規模な印刷会社を見学させてもらいました。そこは、印刷機4台に断裁機、折り機などの設備があるのに、営業マンが2、3人しかいない。ふつうなら、7、8人は必要な規模です。なぜ少ない営業マンですむかといえば、同業者や企画会社等からの下請仕事を主にしているからだというんですね。当時日本では、ハイデルの印刷機を持って、下請をしようという発想は余りなかったと思います」(鈴木社長)
 当時、はっきりと意識したわけではなかったと鈴木社長はおっしゃいますが、以降同社は、このドイツの印刷会社をなぞるように、ユニークな業態を作り上げていきます。
 昭和55年には、在阪百貨店の仕事をきっかけに、GTOZP菊4裁判2色両面兼用機を導入。以降、58年GTOZ2色機、60年GTOVP4色両面 兼用機、62年GTOV4色機、平成4年GTOVP4色両面兼用機と、ほぼ2、3年おきにGTOシリーズを増設してきました。


[GTO5台が整然と並ぶ同社工場。小ロット、短納期で品質にうるさいというニッチマーケットに特化している]

 当初は、ここまで菊4裁にこだわるつもりはなかったようですが、工場の広さと投資効率からGTOを増設していった結果 、大手印刷会社からの下請の仕事が次々と舞い込むようになり、あるときなどは、工場を一目見ただけで、経歴書を渡すより前に、すぐフィルムを取りに来てくれと言った大手印刷会社もあったとか。
 小ロット、短納期で品質にうるさいという、ふつうの印刷会社にとってはあまりうれしくない仕事を、きちんとこなしてくれる同社の存在は、まさにすき間ニーズを開拓するものだったのです。



増え続ける需要に対応するためSM52を導入

 しかし、平成6年頃になると、需要の増大に対応したさらなる設備の増設が必要になってきました。この年の暮れの年賀状印刷の最盛期には、昼夜2交替24時間で印刷機を回さなければ間に合わないほどになったのです。
 そんなとき、同社に新しいスタッフが加わりました。それは、現在工務部課長を務める豊田正一氏です。前年までハイデルベルグPMTの社員だった豊田課長は、かつて鈴木社長が間借りしていた印刷会社に勤めていた縁もあり、定年退職後、ハイデルベルグ機のヘビーユーザーである同社へと再就職したのでした。


[工務部課長 豊田正一氏]

 豊田課長は、まず6年暮れから7年7月まで、同社の仕事をじっくりと研究したあと、5月にはDRUPA95視察のためドイツへと向かいます。帰国した豊田課長が鈴木社長に見せたのは、高い生産性を上げるスピードマスターSM52のビデオ。
「年末には、また大量の年賀状注文がきます。前年の状況をみると、現在の設備ではもうこなせないという判断から、SM52の導入をすすめました」(豊田課長)
 そして、タイミングよく工場増設のめどがたったことから、SM52-4-P菊4裁判4色両面 兼用機とSM52-2-P菊4裁判2色両面兼用機の2台の導入を決めたのです。
 IGAS’95で活躍したSM52-4-Pが搬入されたのは、昨年10月のこと。この最新鋭機は、わずか1カ月強ほどでフル稼働を開始し、膨大な年賀状の需要をラクラクこなしてしまいました。
「SM52の最高速度は、15,000回転ですが、当社では現在、平均13,500回転ほど。この速度に加えて、オートプレート、ブランと圧胴の自動洗浄装置、ワンタッチでの反転切替など、さまざまな機能も生産性の向上につながっています。それに、CPトロニックにより、ほとんどの調整が可能ですから、紙積み以外はフィーダ部に行く必要がなく、オペレータの負担もかなり軽くなっていますね」(豊田課長)
 こうして同社のSM52-4-Pは、GTOVPの1.8倍ほどの生産性を実現しています。


[ハガキなど、小物を中心とした同社の作品群。同業他社から難しい仕事を任されるだけあって、印刷品質は高い]


多品種小ロットのニーズを先取りしたことのメリット

 前にも述べたように、自社設備稼働率の7割は同業者からの下請です。こうした仕事は、ほとんどが菊4裁サイズで、しかも、その65%が1,000枚以下の仕事となっています。さらに最近では特色も多く、1台の印刷機で1日10回以上もの色換えを行わなければならないこともあるのです。
「確かに、こうした小さい仕事は、忙しいし金額もはりません。ただ、その分、別なメリットがあります」(鈴木社長)
 そのメリットとは、まず紙が小さく、印刷機のローラも片手で持って洗えるくらいでオペレータの負担が軽いこと。印刷機が小さいため、1ユニット当たりの土地代が少なくてすむこと。紙の置場所にも悩まなくてすむこと。印刷物のチェックが一目でできる、等々。
 しかも同社の場合、同じサイズの印刷機を多数そろえていることによるスケールメリットと、大阪の市街地に工場を置いているという立地条件。この二つの条件がそのメリットを倍加させていることも見逃すことはできません。同じサイズの印刷機ばかりですから、工程管理が簡単でスムーズ。たとえば4色×2色の仕事で、4色機で片面 を刷ったあと2色機で裏面を刷るといったフレキシブルな対応も可能です。こうして印刷機の稼働率を高め、かつ短納期にも対応しているわけです。
 また、現在菊4裁以上の大きなサイズの仕事は外注に出していますが、SM52の生産性からすれば、5万枚までなら菊全価格でも採算が合うといい、今後はこうした仕事も内製化していく予定です。


[ベテランと若手がバランス良くそろった、同社のオペレータ]


 さらに、立地条件もこうした業態には大きな意味を持ってきます。
「当社のように小さな仕事が多数ある場合、フィルムを集めてくる労力がばかになりません。当社は地下鉄や高速など交通 アクセスがよく、営業マンが活動しやすくなっています。それに、従業員も定着しやすいというのもメリットでしょう」
(取締役営業部長 鈴木博氏)
 つまり同社の成功の秘密は、ショートランカラーという時代の流れを先取りし、その立地条件を十二分に生かす方向へ特化したことにあるといえるでしょう。
将来のDTP時代の到来を見すえ
あえて川下への投資を進める

 さて、SM52導入のきっかけとなったDRUPA95へ豊田課長が派遣されたのは、もともとはデジタル印刷(オンデマンド)の現状を見極めてくることが目的でした。確かに、多くの印刷業者は現在、マッキントッシュの導入に代表されるように、デジタル時代の到来を見越して川上への設備投資を進めています。
 しかし、同社は現時点では別の視点を持っています。平成4年、7年の殖版機導入でひとまず川上への投資を中断し、川下を押さえるという戦略です。その一環として、平成6年にはポーラー92EMC断裁機を導入。さらに今年秋には、スタール紙折り機を導入して後加工部門を整備する予定となっています。


[川上より川下への投資を優先させるという戦略の一環として、平成6年に導入されたはポーラー92EMC断裁機]


「まずは当社の特徴である小ロット、短納期を、より確かなものにすることが大切だという判断です。また、スピードアップを図り、フィルムから短時間で完成品まで持っていける体制ができれば、『オンデマンド』にきわめて近くなり、スピード、価格面 でデジタル印刷にも対抗できると考えています」(鈴木社長)
 たとえば出力センターなどで、フィルム出しをしたものの印刷が決まってなく、センターに紹介を頼むというケースもよくあると聞きます。同社では現在出力センターと提携し、こうした潜在ユーザーを顧客化する取り組みも始めています。
「確かにハイデルベルグ社の印刷機は高価ですが、その分工程、品質、労働力の軽減などさまざまなメリットがあります。私は、ハイデルベルグ社についてこうしたマシンの性能はもちろん、マーケティング力のすごさにも大きな信頼を置いています。確かオイルショックのすぐ後だったと思いますが、ハイデルベルグニュースに『多品種小ロットの時代がやってくる』という記事が載っていました。あれから20数年それを信じてやってきたからこそ、現在の当社があるのだと思っています」(鈴木社長)
 時代の趨勢に流されるのではなく、自社の特性を見極めて独自の道を切り開いてきた同社がこれからどこへいくのか、興味深いところです。